電波の出る話
最近、書店で本を求めることが増えた。ウロウロしていると、向こうから呼びかけてくる。そんな中の一冊。
この本は、頭のいい(と自分で思っている)人のために、そういう人が陥りがちな問題について書かれている。学習性無力感の話。
この著者の本の中ではカタい方らしい。この手の本にありがちな寄り添う感じもあまりない。でもこの本のターゲットである頭のいい(と自分で思っている)人なら、この上なくシンプルで、論理的に書かれていると感じるだろう。人によってはタイトル通り「一瞬で」効果が出るかも知れない。
内容はざっくり以下のような感じ。
- 体はものごとを快/不快で判断する。
- 頭が快/不快の判断を歪ませるのが無気力の原因だ。
- 理屈や他者からの嫉妬が、快/不快の判断を歪ませる。
他者からの電波は、ミラーニューロンによってキャッチされる。目を合わせることで伝わることが実証されているそうだが、部屋の空気や、文字列の中のちょっとした字句でも、伝わるのではないか。
僕も変な電波を飛ばさないよう「100%快!!」というとき以外、自分だけのノートにそっと書き付けてしまっておくようにしようと思う。既に出してしまったものは、消してもアレだし、仕方ないかな。
■
親知らずを抜くことにしました
幼稚な僕もこれで少しは大人になれる
はずもない
■
梅雨入り前、久々の青空を見上げたら
何だか気分もスーッと晴れてきて
一体何をモヤモヤしていたのだろう
川沿いに自転車を駆る
■
昨日は工繊大での授業の後、何だか元気が足りないなと思って
そしたら急にともさんのハンバーグが食べたくなって
雨の中、結局バスにも乗らず、歩いてジェームズキッチンへ。
学生時代いつも僕らを見守り、かの芥川賞作家も輩出した
今はなきバー・ティピティーナの一階。
若い頃だから、飲みに行っては、やれくっついたの、離れたの
そんなこんなの話を聞いては、適当に混ぜっ返してくれた。
今では年に一度も行くかどうかだけれど、忙しい最中でも
ちゃんと出てきてくれて、体は大丈夫か、仕事はどうだと、
また誰それが最近どうしたと、50にもなんなんとする僕らを
相変わらず見守ってくれている。
今となっては歳もそれほど違わないのだろうけど。
■
雰囲気のあるお店には、雰囲気のあるお客さんが集まって
それがまた、お店の雰囲気になっていく。
誘われて入ったそのお店に、ひとり行ってはみたものの
やはりそこは、その人の居場所なのだから
僕が勝手に行くべきではないな。
何だかその人がいたような気さえしてしまう。
家族2.0はそろそろ根本的に見直したらどうだろうか
ここでいう2.0は「両性の合意のみに基づいて成立」した「夫婦」を中核とした家族像。別に戦争が終わって突然でてきた訳でもないようだけど、封建的な「家」制度との訣別を宣言した日本国憲法第24条は一つのエポックだっただろう。
ただ、そんな「あるべき家族像」を前提に法令が組み立てられているために、そこに収まらない暮らし方には大きなデメリットが伴うことに、最近ようやく少しずつ光があたるようになってきている。
同性婚はじめ一夫一婦制の前提に収まらない多様な家族構成、配偶者特別控除や3号被保険者といった専業主婦への優遇措置(これについては専業主婦からバリキャリ復帰した未亡人みたいなパターンの理不尽さがなかなかすごい)、夫婦別姓、コレクティブな老後生活と看取りや相続・財産分与、などなど。
お金さえあればそれなりに何とかなる問題もある一方で、瀕死のパートナーに付き添えないとか、なんでそんなことを他人に決められないといけないんだと、遣る方無い思いにさせられることもしばしば。
そこで、性別とか、恋愛感情とか、内部の関係性には立ち入らないで、税や社会保障は家族単位で決めますよ、とか、法的な代理人になれますよ、とか、法人みたいな形で再定義したらどうかね、って話。
なんかでも考えてみたら、2.0以前に近い部分もあるのかなと思って、3.0とは言わなかった。もちろん、全然違う部分もある。
ついでに言うと、2.0的な夫婦間には当然のものとして排他的な恋愛感情が想定されていると思うけど、それ本当に必須なのかな、とか、そもそもその「恋愛感情」自体が、2.0的な家族制度から逆算して形作られているのではないかな、とか。
■
車窓の夕焼けを眺めていたら
前列でも同じ方に目を遣っていて
どこの誰とも知れず 顔も見えず
もちろん声などかけないけれども
同じ空の美しさを共有している
そんなことが 何だかとても嬉しくて