新プロジェクト始動
今日、新しいプロジェクトの話をした。
少し前にメールで前振りだけあって、そのときは完全に誤解していたのだけど、発案者にお会いして話を伺ったところ、完全に、自分がずっと前からやりたかったことだった。ずっと、ずっと。
なぜできなかったのか、という自省がまた僕にとって重要だった。これまで20年近くも、僕はそこから遠ざかっていた。
それでも、振り返ってみれば、目まぐるしく新しいことに遭遇し、何かを成してきた。けっこう楽しんでもいた。なんでこれを「何もしていない」なんて思っていたのか、自分でもまったく不思議なくらいだ。
実際のところ、なんでかはよくわかっていて、満たされない何かの代替としてやっていたからだ。それでも、その間にも、僕は何者かではあったし、そこで培ってきたものもある。この活動を通して、僕はふたたび僕自身になれる。そんな気がする。
そしてこれは、僕がこれから20年後をゴールに考えていた話とも完全に合致している。
発案者からは「その時は僕はもういないかも知れないけど」なんて言われてしまったが、それはこちらも似たようなもの。個人を越えて、表層的な活動内容も越えて、受け継がれていく魂があれば、そこに僕がいる必要はない。
僕も、その人も、そうやって呼ばれた口なのだ。
まだ2人だけれど、これから多くの人と関わっていくことになるだろう。それがこのプロジェクトの目的でもある。
それにしても、本当に、僕は恵まれている。感謝しなければ。
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一緒に死ねるくらいなら
一緒に生きればいいのにね。
なんだか僕は
空が飛べるような気がした。
世界は、美しい。
(40代・近視)突然、緑内障と言われた。みんな検査うけて。
15分・3000円くらいの簡単な検査です。大抵の眼科で予約なしで受けられます。
どんな病気?
- 次第に視野が失われ、失明する。
- 治らない(進行を遅らせることはできる)。
- かなり進むまで、意外と気づかない。
どんな人がなる?
- 40代で2%、70代で10%がなっている。
- 強度近視だとなりやすい。
- 眼圧は正常な場合も多い。
どんな風に見える?(僕の場合)
両目を開いたまま、片目を手で覆って見た感じといえば分かるだろうか。左目の右半分が、そんな感じ。完全に見えない訳ではなく、室内では意識しても殆ど分からない。ただ、明るい場所で左右の目を比較すると、はっきりと違いがわかる。
今のところ特に不自由ないが、それだけに発見も遅れる。ただ前髪が目にかかってる感じというか、何だか集中力に欠けるのは、この目のせいかもしれない。
知らないと気づきにくいだけで、気づくとそれなりに絶望感ある。
どうやって見つけた?(僕の場合)
いつから発症したのか分からないが、たぶん職場の健診などでは見つけてもらえない。
目イボ(ものもらい)で受診して、反対の目がおかしいと言われ検査したところ、結果表示では既に視野の4分の1くらいが真っ黒だった(具体的な意味はまだ聞いていない)。
気づいて下さった先生には本当に感謝している。
どうやって治す?
治らない。
失った視野は戻らないが、進行を遅らせるために、眼圧を下げる薬を処方され、失明しない限りは、お金が尽きるか命が尽きるまで、毎日これを点眼する。睫毛フサフサになる副作用があるとかで、別に嬉しくもない上、さしあたり片目だけなので更に微妙。
どんな気分?
正直、とても不安。
電波の出る話
最近、書店で本を求めることが増えた。ウロウロしていると、向こうから呼びかけてくる。そんな中の一冊。
この本は、頭のいい(と自分で思っている)人のために、そういう人が陥りがちな問題について書かれている。学習性無力感の話。
この著者の本の中ではカタい方らしい。この手の本にありがちな寄り添う感じもあまりない。でもこの本のターゲットである頭のいい(と自分で思っている)人なら、この上なくシンプルで、論理的に書かれていると感じるだろう。人によってはタイトル通り「一瞬で」効果が出るかも知れない。
内容はざっくり以下のような感じ。
- 体はものごとを快/不快で判断する。
- 頭が快/不快の判断を歪ませるのが無気力の原因だ。
- 理屈や他者からの嫉妬が、快/不快の判断を歪ませる。
他者からの電波は、ミラーニューロンによってキャッチされる。目を合わせることで伝わることが実証されているそうだが、部屋の空気や、文字列の中のちょっとした字句でも、伝わるのではないか。
僕も変な電波を飛ばさないよう「100%快!!」というとき以外、自分だけのノートにそっと書き付けてしまっておくようにしようと思う。既に出してしまったものは、消してもアレだし、仕方ないかな。
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親知らずを抜くことにしました
幼稚な僕もこれで少しは大人になれる
はずもない
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梅雨入り前、久々の青空を見上げたら
何だか気分もスーッと晴れてきて
一体何をモヤモヤしていたのだろう
川沿いに自転車を駆る
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昨日は工繊大での授業の後、何だか元気が足りないなと思って
そしたら急にともさんのハンバーグが食べたくなって
雨の中、結局バスにも乗らず、歩いてジェームズキッチンへ。
学生時代いつも僕らを見守り、かの芥川賞作家も輩出した
今はなきバー・ティピティーナの一階。
若い頃だから、飲みに行っては、やれくっついたの、離れたの
そんなこんなの話を聞いては、適当に混ぜっ返してくれた。
今では年に一度も行くかどうかだけれど、忙しい最中でも
ちゃんと出てきてくれて、体は大丈夫か、仕事はどうだと、
また誰それが最近どうしたと、50にもなんなんとする僕らを
相変わらず見守ってくれている。
今となっては歳もそれほど違わないのだろうけど。