反物質流

たんものしちながれ

雰囲気のあるお店には、雰囲気のあるお客さんが集まって

それがまた、お店の雰囲気になっていく。

誘われて入ったそのお店に、ひとり行ってはみたものの

やはりそこは、その人の居場所なのだから

僕が勝手に行くべきではないな。

何だかその人がいたような気さえしてしまう。

家族2.0はそろそろ根本的に見直したらどうだろうか

ここでいう2.0は「両性の合意のみに基づいて成立」した「夫婦」を中核とした家族像。別に戦争が終わって突然でてきた訳でもないようだけど、封建的な「家」制度との訣別を宣言した日本国憲法第24条は一つのエポックだっただろう。

ただ、そんな「あるべき家族像」を前提に法令が組み立てられているために、そこに収まらない暮らし方には大きなデメリットが伴うことに、最近ようやく少しずつ光があたるようになってきている。

同性婚はじめ一夫一婦制の前提に収まらない多様な家族構成、配偶者特別控除や3号被保険者といった専業主婦への優遇措置(これについては専業主婦からバリキャリ復帰した未亡人みたいなパターンの理不尽さがなかなかすごい)、夫婦別姓、コレクティブな老後生活と看取りや相続・財産分与、などなど。

お金さえあればそれなりに何とかなる問題もある一方で、瀕死のパートナーに付き添えないとか、なんでそんなことを他人に決められないといけないんだと、遣る方無い思いにさせられることもしばしば。

そこで、性別とか、恋愛感情とか、内部の関係性には立ち入らないで、税や社会保障は家族単位で決めますよ、とか、法的な代理人になれますよ、とか、法人みたいな形で再定義したらどうかね、って話。

なんかでも考えてみたら、2.0以前に近い部分もあるのかなと思って、3.0とは言わなかった。もちろん、全然違う部分もある。

ついでに言うと、2.0的な夫婦間には当然のものとして排他的な恋愛感情が想定されていると思うけど、それ本当に必須なのかな、とか、そもそもその「恋愛感情」自体が、2.0的な家族制度から逆算して形作られているのではないかな、とか。

 

あなたは すばらしい。

あなたは すばらしい。

たとえ あなたが すばらしくなくても

やっぱり あなたは すばらしい。

それでも あなたは すばらしいことを

やめようとは しないのだろうけど。

 

フルーツ・ヨーグルト

リンゴ、バナナ、オレンジ、グレープフルーツを、1、2センチに刻み

ロイヤル・コペンハーゲンのボウルでイオンのヨーグルトと和え

ヘンケルスのスプーンでいただく、出勤前のゴールデン・ウィークの朝。

 

かつて、命がけで、これを作り、食べていたのを思い出す。

 

原価計算すれば、山盛りいただいても、せいぜい150円。

特に贅沢なものではないが、果物を食べている自分、ということに

何か、最後の矜持のようなものを、感じていた。

僕にとって、果物というのは、何かそういうもののようだ。

子供の頃は、父が買って帰る、折々の果物が楽しみだった。

 

1本26円の缶コーヒーを箱で買ってきてもらう。

はっきり言って不味い。おそらくは成分以外の諸々もあって

少なくとも、美味しくは感じられない。

それを毎日2本、カバンに入れて、往きと、帰りとに1本ずつ飲む。

 価値のないものとばかりに、自分を小さく、小さく、押し込んで

みずから、世界の隅に追いやってしまう。そんな心持ちだった。

 

世帯を構え、真っ当な仕事に就き、それなりの安定した収入もある。

それ以外でもいろいろな肩書を頂いている。

別にお金に困っていた訳ではなかったのだと思う。

すべては自分の心持ちの問題なのだろうけれど。

 

ああいうことをしてはいけない。

 

新しい時代の幕開けにあたり

ということで、はじまりました。令和。

 

霧雨の中、新調した背広で、猿田彦さん、御霊さんにお参りしてきました。

今日は何十年ぶりかに復活する御霊さんの神幸祭でもあります。

 

昨夜は久々に皆で銭湯へ行き、麦酒を飲みながらテレビを見ていました。

何だか大晦日みたいな、というのがキーワードのようでしたが、こうして

まったりと寛いで新しい時代を迎えられるというのも、昭和最後の日の記憶の

ある方々には、まさに隔世の感ではないでしょうか。

あの日は本当に、世界から色が消えたかのようでした。

 

今上天皇御存命のままの退位は202年ぶりとかで、記録をしっかりと残し

大切に扱うのが此の国の正統なのだなと改めて思いました。

歴史に学ぶか、教訓に学ぶか、両者は同じでもないし、排他でもないですが、

このあたりは、その国のあり方をよく表しているようにも思います。

 

戦前生まれの父は天皇制には明確に反対していたのですが、それはひとり

天皇の問題ではなく、やれ自分は誰某よりも近いだの、やれ大御心だのと

私心丸出しの有象無象が跋扈する元になる、その挙げ句があの戦争だという

そういうことだったようです。学者らしくちゃんと書いたものを遺している

のですが、まだちゃんと読んでいないものでスミマセン。

 

 

平成の時代を担ってこられた上皇陛下、近年は憲法や国民への影響には

細心の注意を払いながらも、かなり踏み込んだお言葉も見られました。

その思いはお察しするに余りありますが、やはり先の大戦とその後の

ご経験の影響は、非常に大きいのではないかと思います。

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 さて、新時代、和暦を使うの使わないのという話もありますが、

まずは人生、楽しんだ者勝ちですね。

rocketnews24.com

どこか軽々しくも親しみをもって

というのが新時代のキーワードではないでしょうか。

 

生産工学 第2講 (1)生産性

おはようございます。

はい。

気持ち良い挨拶というのはプライスレスなものではありますが、あえて
その価値を「お・は・よ・う・ご・ざ・い・ま・す」の9文字に振り分けるなら
半分は「お」、残りの半分は「ま」にある、と言われています。
つまり、せっかく挨拶しても「あよ〜ざぁ〜っす」では、4分の1の価値もない。
だから1文字1文字はっきりと挨拶しましょう。
サービスの研修ではこんなことをよく言います。

一方、我々生産工学に志す者は、もう一歩踏み込んで、生産性ということを
きちんと考えなければいけません。
生産性とは、インプットに対して得られるアウトプットの割合です。

「おま」なら、たった2文字で「おはようございます」の4分の3の価値。
1文字あたりで言えば、「おはようございます」と言うのに比べて3倍以上、
非常に生産性の高い挨拶と言えます。
ひらパー兄さん、さすがです。

僕ら学生の頃には、出典はわかりませんが「ラクして気持ちいい」なんて
よく先輩が言っていました。

そして我々生産工学に携わる者は、生産性向上のために日夜励んでいるのです。

ラクするためには労を厭わず」、これが私の座右の銘です。

もっとも最近では、ラクするための労も数に入れなければならないということで
人間の怠惰、強欲とは、留まるところを知らない恐ろしいものです。

今日お伝えしないといけないことの要点は以上です。これ以上補足をすると
せっかくの生産性が落ちますので、少し早いですがこれで授業を終わります。