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反物質流

たんものしちながれ

染め物の技法に「鹿の子絞り」というのがあって、草間彌生のような文様を一つひとつ、布を糸で縛って作るので、柄によっては一反仕上げるのに何ヶ月もかかる。あまりに贅沢なので、江戸時代には禁止令が出た程。ところが、海外工場ではそれを、穴の空いた鉄板を裏から吸って、ものの数秒で仕上げるというのだから、たまったものではない。

同じことが、IT業界でも起きつつある。最先端のようでいて、一台ごとの職人仕事だったサーバ構築が、クラウド化によってようやく、産業革命の恩恵を受けられるようになってきた。恩恵というのはもちろんクライアント側から見た話で、自らを差別化できないエンジニアにとっては、相当に厳しい時代である。随分と前から言われていたことだが、ここへ来て完全に潮目は変わった。

本当に良いもの、対価に見合う価値を認める顧客のあるものは、残る。しかし「手作り」というだけで価値があるというのは考えが甘過ぎる。そんな内輪の価値観に囚われていては全滅しかねない。自らの強みと、それを活かせる領域、顧客を早く見極め、特化してくべきだろう。

独りよがりなこだわりを捨て、真正面から己れと向き合うならば、強みは必ず見つかるはずだ。

 

いま自分の周りで何が起きているかというと、教え方、学ばせ方というのが非常に発達してきている。自分がもっと若かった頃から、少し離れた所ではそういったものが徐々に生まれているのは窺えたが、身の回りにまでは到達しておらず、何か会得しようと思えば自分で何とかするしかなかった。それとて辞書すら簡単には手に入らなかった先人方からすれば、恵まれた環境ではあったのだろうけれど、同時代でも進んだ所にいる人達に比べると、随分と効率の悪い中で、まあ何とかやってきた。お陰で放置されてもそれなりに何とかなるのだけれど、その何とかするということ自体が何なのかは自分でもよく分からない。一方で周囲には、自分がやってきたのと同じような方法では、何とかならない人達が増えている。あるいは環境がそんな悠長なことは許さない。だから手取り足取り教えてやらねばならない。一方こちらは、そのつもりはあるのだけれど、自分がそうされていないから、どうしてやったらいいのかわからない。要するに、自分が会得したもの、会得する方法、そして自分自身、三つまとめてお役御免といったところか。ま、幸い放っておかれるのには慣れているので、適当にやっときますけど。

つまり貴方は
フィンセント・ファン・ゴッホをして
人畜無害な好々爺たらしめんと
そういう訳か。
あるいは私の狂気は役立たぬ故か。
役に立つ狂気とはこれまた
随分と飼いならされたものだな。

大人は酒を飲む
嬉しい程に
悲しい程に
盃を重ねる
忘れるため?
否、忘れないため。
そうして朝が
連れに来るまで

「夜明けの歌」eastern youth
https://www.youtube.com/watch?v=XphRhS_e8UI

盛大なお別れ会だった。

27歳10ヶ月。5年前の予告通り
世を去った君は、それはそれは
奔放で向こう見ずで
根拠のない自信に溢れていた。

あれから16年。

その後の僕はといえば、まず
不自由もなく恵まれた暮らしを
送っているよ。

君のいうには僕もあと14、5年。

君の生まれ変わりのような倅が
ちょうど君の去った歳の頃だ。

そのとき僕は世にいうところの
幸せな人生だったと
そんな風に言うことにするよ。

それまでしばらく、君のことは
忘れて暮らすよ。

このローマ字がダメな理由

前から言ってたし別に僕が指摘するまでもなく言われてることだけど。

 

巷で広く使われているヘボン式のローマ字というのは本当にヘボでね、

米英の些細な利便性のためにグローバルには大きなデメリットを残した、

酷いヤツだよ。

 

今朝は駅でインバウンドの旅行客に尋ねられて「フクヒに行きたい」って。

いや京阪で福井は行けないでしょうと思って指差す先を見たらTo-fukuji、

そう、東福寺

 

なんでToが抜けたのか、from-toのtoだと思ったのか(違うと思うが)

それはさておき、英語に匹敵するネイティブ・スピーカーを擁する

スペイン語では、「ji」は「ヒ」って読むんだよね。

 

それは知ってたけどさ、書かれたものが無かったら「フクヒ」は永遠に

謎だったに違いない。あるいは東福寺で乗り換えてJR京都駅へ行けなんて

福井に案内して結果的にたどり着いていたかもしれないけど。

 

まあ言い出したら切りないけど、za ji zu ze zoなんて、わざわざ規則性を

崩してまで入れるメリットは、世界のごく一部の人しか享受できない。

 

米英が悪いとは言ってない。あくまで採用した日本人の問題。

 

あと別れてから気づいたけどさ、読み方が違うというのをもっと大げさに

発音して言ってあげたらよかったなとか、地上に出て最初の駅だよって

付け加えてあげたらよかったなとか。

 

まだまだお・も・て・な・しの心が足りないなと。

 

僕はどこにいるのだろう

僕の外側には他人が塗り固めた僕があり

内側の僕は爛れて流れ落ちてゆく

もともとの僕はどこへ行ったのだろう

そんなものは元々なかったのか