反物質流

たんものしちながれ

或るマイノリティ(1)

昨夜は市長との懇談会だった。

車座で一時間、自由に話せる機会だった。

その質問はノートに書きつけてあった。

司会からフリーで話を振られた。

千載一遇のチャンスだった。

なのに、他愛もない話で時間を使ってしまった。

 

実は、その質問の重要性を知ったのは、後の懇親会の席だった。

YESにせよNOにせよ、事務レベルの話だと思っていた。

だが違った。

 

最終的には、各々が決めればよいことではあるが

市長のひと言があれば、同じ問題を抱える皆が

遥かにやり易く、また多くの人々に

その問題に気づいてもらう機会にもなった。

 

しかもそれは、市長でなければいけない。

偉い人に越したことない、ということではなく

おそらく教育長ではむしろ、明確に答え難い問いだった。

 

そういうことに、自分は酷く鈍感なのを

改めて思い知った。

 

そういえば

「半端じゃない」っていう表現

消えましたね。

 

一撃で老害認定される、そう思うオジサンたちは

使わないように意識していることでしょう。

けっこうビクビクしながら暮らしている人も多い

ような気がします。

若者の方は別に気にしないと思いますけど。

それに無理して若者に流行りのことばを使うのも

却って痛々しいようにも思います。

まあ他にも言い換えはいくらでもあるでしょうし

そうやって古い流行語からも新しい流行語からも

見放された先に「美しい」正統なものに傾倒する

そういうものなのかも知れません。

やたら正統にこだわるのは、寄る辺なさの現れ

というのは昔からよく言われることです。

 

今更なんだけど、上座っていうのは
居心地のよい場所ではなく
見る人を威圧するための場所
そんなことにふと気がついた。

料理だってそう。美味しくいただく
というよりは、権威を見せつける
長いあいだ、それが料理だった。

歴史の中で、そういう意味合いが
変化しているという点は、
わかりにくいけれども見落としては
事を見誤ってしまう。

 

既に書いたような気もするが、20年ほど前
南青山のNICOLEだったと思うのですが
僕は本当に場違いで、瀟洒なその店舗の
入り口さえ分からずにいたところを
店員さんが招き入れてくれたときの話。

胸元から視線を下ろしていったとき
どこにも引っかからずに爪先まで行く
そこから顔を上げて全身を見たときに
「あぁ、いいな」と。
そういうのを目指しています。

いつかその服の似合う人物になりたい

「お待ちしてます。」

そう言って送り出してくれた。

 

たしかジェフロアさんだったと思うのですが、
こんな話を聞いたことがある。

ドン・ペリニヨンの特徴を聞かれると
困ってしまうのです。
すべてがそうあるべきようにあること。
それがドン・ペリニヨンなのです。

稲盛和夫さんのお話にもこんなのがあった。

秘策なんていうものは、それさえわかれば
誰にでも真似できてしまう。そんなものは
強みとは言えない。
当たり前のことが当たり前にできている。
それが常に隅から隅まで整っている。
簡単なようで、真似できるものでない。
そういうのを強みというのです。

以前、天皇陛下サウジアラビア副皇太子殿下を
お迎えになった部屋のしつらえが話題になったが
あれもまさしくそういうことなのだろう。

そういうのは日本的な美意識だと思われがちだが
案外、突き詰めると誰しもそこへ行くのではないか。

打合せの後、ひとり坂の上まで歩いてコーヒーを頂いてきました。

季節のせいでしょうか、何かに導かれるように。

僕にとっては何だか不思議な色合いの街になってしまいました。

この仮囲いが取れても、僕はこの場所がわかるだろうか。

成人式を迎えた皆さん、おめでとうございます。

25年前、僕は成人式には行けませんでした。

行けたなら行ったかというと微妙なところですが、
ただその時の僕には、選択肢はありませんでした。

その日、僕はアルバイトをしていました。

たまたま同い年の女性ばかり4名と同じ職場で、
彼女たちを行かせない訳にもいかないだろうと。

別に恨めしく思ったこともありませんが、
地元では確かに、中学校から家を離れていた僕を
探していた人も何人かはいたと後で聞きました。

多分もう一生、会うこともないでしょう。 

職場にすれば、その一日のために採用を調整する
はずもありませんが、当人にすれば一生に一度の
一日だったとも言えます。

本当に、僕自身はそれ程には思っていませんが、
ただやはり、人を雇う立場になった時には
そういうことも考えないといけないのだなと。

もう25年も前の話ですが、
この日になると思い出す話でした。

20代の頃、文章を書いていると、個々の段落は書けるのに
段落と段落が上手く並ばずに、よく困っていた。

一対での関係は明確なのだけど、それらが一列に並ばず
網目のようにつながってしまうのだ。

今思えば、目的地への最短経路を求められていたのに
周辺一帯の地図を作ろうとしていたのだな、と。

地図さえあれば、与えられた目的地へ行くこともできるし
また違ったこともできる。

ただそのときそれは求められていなかった。