反物質流

たんものしちながれ

amazonマーケットプレイスについて

amazonマーケットプレイスで古本を買ったんです。

本体29円+送料257円。状態は「良」とのこと。

で、送られてきた本は一見すると新品のようでいて、

開くと大半のページに書き込みがあって。

まあ読むのに支障ないしいいかと思いつつ、何となく

コンディション・ガイドラインなんてものがあったなと

調べてみたら、こう書いてありました。

使用されていても、きれいな状態の商品。ページやカバーは完全な状態で(カバーがついている場合はカバーも含む)、背表紙に多少の傷が見られる商品。半分以下のページに書き込みや線引きがある商品。蔵書印が付いている商品。

どう見ても「半分以下」じゃないなと思ったので

フィードバックに書いたんですね。星ふたつにして。

そしたら出品者からメール来て「返金します」って。

まあ、当然そうなるわな。

でもさ、29円よ。

29円じゃよっちゃんイカも買えないよ。

そんなもんにケチつけられて、

送料257円も一緒に返金させられたんじゃさ。

大のオトナが回収してきてデータ入力して

注文受け付けて梱包してラベル貼って。

29円のために。

挙句の果てに星2つとか付けられて

10倍以上の近くも返金して。

やってられんよな。

僕だって「ラッキー、タダになった」なんて

全然思わないわけよ。

余計なこと書かなきゃよかったって。

一日ブルーよ。もう。

その間にもしっかり収益出してるヒトがいて。

amazonっていうんですけどね。

もちろん、amazonは自分の仕事はした。

何も悪くない。

便利な仕組みを作って古本を流通させて。

でもなんか、そのおかげで売る人も買う人も

それから当の本を書いた人も、

それで本当に幸せになってるのかなって。

なんかすごい疑問に思ったわけです。

はい。

で、出品者のサイトみたらチャリティーとか

やってるっていうから、

部屋に入りきらなくなった本を今度

そこに送ろうと。

免罪符じゃないけど。

 そんな一日でございました。

 

野呂松人形

いつものように独りで朝食を摂りながら、ふと目に止まった芥川龍之介全集を手にとって、一番短い作品を読み始めた。

友人に誘われるままに、野呂松人形とかいう古典芸能の鑑賞に訪れた主人公。

僕たちの書いている小説も、いつかこの野呂松人形のようになる時が来はしないだろうか。 

いや、さすがだね。

 

近況

それまで使っていた部屋を先週突然追い出され

三畳の書庫兼書斎が書庫兼書斎兼寝床兼というか

僕が専有できる唯一の空間になり、ここ数日は

半分に折った布団で体を屈めて寝ていたのですが

今日は出町柳のニックもといケーヨーデイツー

突っ張り棒を求め意気揚々と賀茂川を歩いて帰宅、

早速、突っ張って夏冬のスーツをぶら下げました。

 

突然の疎開で埋もれていた書類を整頓したところ

なんと布団を三分の二まで広げることに成功。

対角線に寝れば何とか脚が伸ばせるではないですか。

なんと快適。なんたる幸せ。

しかも積み上げた書類を整理すれば更に延びると

なれば、長らく放置していた片付けにも身が入る。

当分は目的意識を持って暮らせそうです。

 

ゆけ、オッサン

一週間ほど渋谷・新宿で乗換を繰り返していたんですが

街に宣伝広告が多いというか、カネかかってるなというか

いかにも「優秀なクリエイティブ」が作ったっぽいというか

でもまあ他の街にあったら却って寒いようなというか

ぶっちゃけここまではどうでもいいんですが

 

そんな中、いたるところに青字に白で「ゆけ」って

特に気にも留めてなかったのですが、今日初めて

こいつのフルバージョンのメッセージを見つけて

ああ、そうかと

 

ゆけ、ぜんぶのあなた - Google 検索

 

一見、新生活を迎える「あなた」に向けられてますが

実際のターゲットはもう10年でも同じような春、否

もはや季節もどうでもいい、そんなオッサンの

郷愁を誘おうと書かれているんだなと

それこの商品のもともとのターゲットそのままだなと

いやはや秀逸だなと

 

ファスト文化と履歴書

手書きの履歴書の是非がまた話題になっているようですが。

時間もないので余計なことはあまり書きませんが、

履歴書に何を求めるかというのは、とりもなおさず
どのように遇されるべき人を求めているか、であろうと
僕はそのように考えます。

従業員って何に近いかなと思って、何となく家具だな、と。

うちには大して上等なわけでもない上に、正直少々持て余す
デカい家具がいくつかあって、僕が子供の頃につけた傷と
倅がさらに重ねた傷がついていたりして、綺麗でもない。

もともとドレッサーだったのがデスクになったりチェストに
なったりしながら、幾度の引越しを堪え使い続けられている。

もっと扱いやすい小ましな家具が廉価で手に入る。
引越す時は惜しむこと無く廃棄して、移った先にぴったりの
新しい家具を、都度買い換える方が合理的なのかも知れない。

手書きとか要らねーよ」っていうのは、こっちも其の程度
だからそっちもそんな所に余計な手間かけなくていいよって、
そんな風に聞こえるんですよね。

あるいは自分自身の人生さえ、そんな風に捉えているとか。
生き方はそれぞれですからお好きな様にとは思いますが
いくら資産があってもなんだか満たされてない感じの人には
何となく気の毒だな、って思うわけです。

余計なお世話でしょうが。

人材市場もますます二極化が進むでしょう。

彼我を分かつものは何なのか。

僕はそういう所なんじゃないかと思うわけです。

厄年を終えた今、そう思うわけですが。

 

研修とヌルヌルの深い関係

今週いっぱい外部研修で東京に滞在している。自腹である。

使い捨て髭剃りを使いながら、共産圏ではこのヌルヌルは
付いていないのでは、と、例によってショーモナイことを
考えていた。共産圏は「貧しい」だとか「不親切」だとか
「肌が強い」とか、そんなことではなく、もっと本質的に。

そもそもあのヌルヌルの正体は何か。滑りを良くするもの
などと小学生でも思いつくようなことを言ってはいけない。

あれは、他でもない。ヌルヌルが次第になくなることで、
そろそろ交換したらどうですか、というメッセージを出す、
それこそがあのヌルヌルの本分である。そうでもしないと
僕のように1本18円の髭剃りを半年以上使う人ばかりでは
商売が成り立たない。

髭剃りの原初的な機能としてのヒゲを剃るという点では
まったく必要のない買い替えを促すことこそ資本主義の
真骨頂である。共産圏ではおよそ必要のないものである。

だから、某国製の自動車だとかパソコンだとか、それらが
すぐ壊れるのは技術が遅れているからだなどと侮っては
いけない。むしろ資本主義がいよいよ完成段階にあると
そのように考えるべきなのだ。粗製乱造、どんどん壊れ、
どんどん交換。経済成長の原動力である。

どこかの国の労働市場もいよいよ資本主義の完成段階に
近づきつつある…そんなことを思いながら、新しい仕事の
スキルを養いに、今日も研修に励む次第である。

 

(追伸)

この年度末に丸一週間の留守を快くかどうかはともかく
ご了承くださいました職場の寛大さに御礼申し上げます。 

留守中はできるだけ電話の鳴らないよう措置しましたが
色々とお手数おかけしていることと思います。

研修の成果は業務にも存分に役立てる所存ですので
所得税控除になるようご配慮いただければ幸甚です(笑)

 

道徳って大事だなと思う反面「道徳」の授業には冷ややか。

「道徳」というと特定のイメージがついてまわるので

やや作為的だが「正義」と言い換えておく。

カッコはつかないけど。

 

正義はひとつじゃない。世界には色々な正義がある。

日本にも、自分の中にさえ、色々な正義がある。

でもそれらの正義のもうひとつ奥にあるものは

案外、似たようなものだったりする。

 

ただそれが特定の場面で有効なように決めた

具体的な方法としての正義が違ったということ。

 

いろいろなことについての正義のセットによって

その社会の秩序ができている。

違う社会では違う正義の違うセットによって

違う秩序ができている。

その中から正義を一つ取ってきて

別の社会に投げ込むと、

とても奇異に見えるかも知れない。

でもその正義の生まれた場所では有効で

全体としては同じようなことを目指している。

 

すでに身の回りだけでも色々な正義のセットがある。

その一つだけを取り上げて、みんなに押し付ける

そのこと自体が、すでに正義に反すると思う。

唯一、多様な正義を尊重しようということこそが

いま共通に求められる正義なのではないか。

 

agree to disagree