反物質流

たんものしちながれ

未来は明るい。

30年前、未来は明るかった。

とりわけ「科学技術」がキラキラ輝いていた。

科学万博つくば'85はその象徴だった。

ニューメディアの描き出すイリュージョン

しかしそれは文字通りの幻だった。

よくできた紙芝居でしかなかった。

 

もっとも、バブルの時代には

すべてが中空のハリボテだった。

ただ熱気だけがそれを支えていた。

 

そして2015年。ようやく時代は

広げすぎた風呂敷に合ってきた。

ドックもマーティーもきっと喜んでくれる。

ただ今度は風呂敷の方が

中身の大きさに追いつかなくなってきた。

 

未来は明るい。

ただ、夢は描かなければ形にならない。

 

あとは頼んだ。

さて今日から春でして。

厄も明け、朝からお参りしてきました。

三年間を振り返ると、決してひっそりと過ごした訳ではなく
育友会長を仰せつかり、家を建て、職場でも結構な大仕事を
手がけさせて頂きました。

それぞれがくもり一つない大成功という訳ではありませんが
反省点からも学ぶところ多く、たいへん有意義な取り組みに
携われたことにとても感謝しています。

さて予告通り今日からは何か新しいことをしようと思います。

何をしようか。取って付けたように新しい趣味などしている
そんな余裕はどこにも無いわけです。四十二といえば順当に
平均寿命を全うしたとしても既に後半戦で、しかも下り坂。
自由になる時間はそれ程ありません。

・後に面倒を残さないよう、常に整理整頓を心がける。

・時間もお金も、誰のどんな役に立つか常に意識して使う。

ということで、今後とも変わらぬお付き合いの程を。

 

1995年1月17日。20年前のあの日を思い浮かべていた。

ちょうど卒論の大詰めで、朝型に切り替えようと早く寝て、そろそろ起きようかと思っていたところだった。 比叡山の裾野に立つ鉄筋コンクリートのマンションは頑丈だったが、それでも経験したことのない揺れだった。天上と周囲を確認して布団に潜り、収まったところでガスの元栓を閉め、玄関のドアを開け、NHKのラジオをつけた。

「…ただいま大変強い揺れを観測しました。大阪では…」落ち着いた声にも只ならぬ緊張感がみなぎっていた。「神戸…神戸からはまだ連絡がありません。」

結局、昼頃まで布団でラジオを聞いていた。真っ先に心配したのは木屋町のキープボトルだったが、どうもそれどころではない様子。テレビも新聞も、もちろんネットも無く、被災地の映像を見たのは数日後のことだった。

夕方からは京都会館へ、友達の演奏会に行った。今調べたら指揮は佐渡裕さんだったらしい。マーラーの9番。メンバーも何名かが来られず開催を迷ったが、とのことだったが、素晴らしい演奏だった。募金箱には次々と高額紙幣が投げ込まれていた。

こんな僕でさえ、忘れられない一日。

コミット

※コメットじゃないですよ。

 

今日は選挙だったのですが、外国籍の奥さんには選挙権がない

って、友達がぽろっと。

まあ、それはそういうものだと、僕は思うのですが。

日本の国籍を取るのは、それほど簡単ではない

少なくとも、二重国籍は認められていない

そんなことを思い浮かべていたら「コミット」という言葉が

自然に浮かんできました。

 

データベースであったり、組織マネジメントであったり、

日本語の中にも浸透しつつある「コミット」

僕がこの言葉に出会ったのは、たぶん高校に入った頃。

commit suicide(自殺する)というフレーズでした。

どんな場面でこんな表現が出てきたのか覚えていないけれど

以来「重大な一線を跨ぐ、取り消し不可能な一歩」という

イメージが、強く植えつけられています。

 

自分の意思で日本国籍を取得した人というのは

その感覚は人それぞれではあろうけれど

多かれ少なかれ、日本という国にコミットしている

同様に、日本国籍から離脱した人もそう

移った先の国にコミットしている

はたまた長年日本に住みながら、数々の不便をおして

日本国籍をあえて取得しない人々は、それぞれの事情はあれ

それぞれ他のどこかの国に、人一倍強くコミットしている

とも言える

だけど生まれながらにずっと日本人な我々の多くには

国土も民族も国籍も渾然一体に、なんだか自明なもの

のように感じられる

そうして日本人であることを大切に思わなかったり

その裏返しとして外国籍の人々の立場も慮らなかったり

 

「便宜で外国籍を取ったけど私は日本人」なんてことを

気安く言ってしまったりする人もいる

「便宜」などという言葉では到底あらわせないような

退っ引きならない事情でそうした人も

口ではそう言うのかも知れないが

 

日本人として、日本国の主権者として、日本の将来に

責任のある我々は、あらためてこの日本という国に

コミットする必要があるのではないか

我々の子孫に、あるいはさまざまな事情で異国から訪れ

あるいは住まい暮らす人々に

この国はどういう顔をしているべきなのか

 

そんな大切な意思決定に、我々が直接かかわる

数少ない機会が、この国政選挙なんだと

だから日本国の主権者としてちゃんとコミットして

自分の思うこの国のあるべき姿に近いことを言う人に

大切な一票を投じて来よう

 

そんなことを思わせる

ひと言でした。

 

昨日、塾の先生に怒られたとかで、家内がションボリしてた。

水泳を休ませないとだめですかね、という話だったそうで。

 

もう個別の知識とか能力とかの問題ではなく、完全に時間。

時間との戦い。時間を確保し無駄にしない、己との戦い。

何を残し、何を削るか、という選択も迫られる。

本人は既に承知していて、あとはお母さん、だそうで。

 

僕は今だからわかるけど、官僚とか大企業の幹部とか

そういう人たちって小学生からこれやってるのかと。

いや僕だって大学入試とか院試とか、3ヶ月くらいはそれ

やったけど、イベント事として一息にやったわけで。

それを小学生からやっているのかと。

あるいはもっと前から。

 

ちょっと大袈裟かも知れないけど、日本の仕組みが見えた

そんな気がしました。

 

水泳でいうと個人メドレーの規定タイムはクリアしたとか

会社でいうと上場の審査は通ったとかISO9001取ったとか

既に仕組みは理解していて、あとはそれをどれだけ回せるか

スピードを上げ、効率を高め、他を切り捨て時間を確保する

僕もそうだけど、意外と苦にはならないんですよね。

 

ただノルマはどんどん高くなっていく。

既に物量の勝負だから、もういつ止めてもいいし、それでも

ぜんぜん無駄じゃなかったよと、言ってあげましたが

本人楽しんでやっているようだし、その先にやりたいことが

見えているようなので、当分これがつづくみたいです。

 

まあこれやった人とやってない人では、世界の見え方が

ぜんぜん違うんだろうなとは思いました。

 

#出費もバカにならないんですけどね。

 

1997 PC Conferenceの懇親会の帰りの電車でのPea夫妻との会話のメモがあったので貼っとく。

最初に僕がDr. Peaに話しかけると,彼はまず握手を求めてきた. 「あぁ,君のことは覚えているよ.昨日のシンポジウムで質問をしていたね.」 やはり,内容はともかく質問をしておいて良かった. 「お目にかかれて光栄です.ところで質問の内容は翻訳してもらっていますか?」 「たしか,『教育のための理想的なコンピュータとは何か』だったね.」 何だか勘違いされているのだろうか.僕はそんな質問はしてないぞ. 「ちょっと論点がずれていますね.僕が聞きたかったのはこうです.」 コンピュータの導入によって,教育現場における今までの画一的,非個性的ななものの考え方が打破され,子供たちの独創的な発想を支援することができるようになる. しかし,同時に,これを発想の支援ツールとして使うことで,ツールの特性に依存した,新たなステロタイプ的発想を招くのではないか. 「三宅なほみ先生は,『そうならないように気を配って行くのが私たちの使命でしょうね.』とおっしゃっていました.」 「おっと,これは僕が聞いたものよりずっと興味深い問題だね. あぁ,これが家内のクリスティーナだ. クリス,彼の質問を聞いてくれ...」 「なるほどねぇ.」 「ところで,君の言う新たなステロタイプ的発想とは,たとえばどんなものだろう.」 「そうですね,これは僕の個人的な問題なのですが,あまりにハイパーリンクに 慣れ親しんでしまい,こんどは紙に一方向的に文章を展開することができなくなってしまったんです. そのせいもあって,僕の教授は僕の論文は論点が転々としてさっぱり分からないとおっしゃってます.」 これには奥さんのクリスティーナさんが興味を示されました. 「あら,それはそれでいいのよ. いい,アメリカでは1980年代(だったかな?)に,子供たちの間から ???(意識分散症?)という病気が発見されたの. でもね,それは病気じゃなくて,現象なの.より進化した子達なのよ. あなたの先生や,ほかの一転集中型の考えしかできない人は恐竜みたいなもの. あなたが心配する必要はないのよ.」 「Netscapeはいま,PCだけじゃなくてテレビとか,もっと単純な機器のための ソフトをつくろうとしてるの. だけど,その前に必要なことは,アメリカ人にハイパーリンクについて 理解してもらうこと. あの人たちはあれが何だか分からないのよ.」 「彼らは階層構造,木構造は分かっても,ハイパーリンクは分からないんだな.」 「ああいったランダムなネットワーク構造がですか.」 「いや,ハイパーリンクは決してランダムではないよ.構造的なんだ.」 ピー先生は『ランダム』という言葉にえらく敏感だった. 「ハイパーテキストでは様々なリンクが張られるが,なぜここからそこに リンクを張るのか,そこには意味がなくてはいけない.関連性があるんだ」 「ハイパーテキストを作り出した人たちは,あまり注目されていない. そうではなく,ハイパーリンクの混沌を整理した,Yahoo!とか,AltaVistaとか 彼らが必要だった.」 「とにかく,恐竜は気にせず,自分の思うようにやってみること.」