反物質流

たんものしちながれ

ゆけ、オッサン

一週間ほど渋谷・新宿で乗換を繰り返していたんですが

街に宣伝広告が多いというか、カネかかってるなというか

いかにも「優秀なクリエイティブ」が作ったっぽいというか

でもまあ他の街にあったら却って寒いようなというか

ぶっちゃけここまではどうでもいいんですが

 

そんな中、いたるところに青字に白で「ゆけ」って

特に気にも留めてなかったのですが、今日初めて

こいつのフルバージョンのメッセージを見つけて

ああ、そうかと

 

ゆけ、ぜんぶのあなた - Google 検索

 

一見、新生活を迎える「あなた」に向けられてますが

実際のターゲットはもう10年でも同じような春、否

もはや季節もどうでもいい、そんなオッサンの

郷愁を誘おうと書かれているんだなと

それこの商品のもともとのターゲットそのままだなと

いやはや秀逸だなと

 

ファスト文化と履歴書

手書きの履歴書の是非がまた話題になっているようですが。

時間もないので余計なことはあまり書きませんが、

履歴書に何を求めるかというのは、とりもなおさず
どのように遇されるべき人を求めているか、であろうと
僕はそのように考えます。

従業員って何に近いかなと思って、何となく家具だな、と。

うちには大して上等なわけでもない上に、正直少々持て余す
デカい家具がいくつかあって、僕が子供の頃につけた傷と
倅がさらに重ねた傷がついていたりして、綺麗でもない。

もともとドレッサーだったのがデスクになったりチェストに
なったりしながら、幾度の引越しを堪え使い続けられている。

もっと扱いやすい小ましな家具が廉価で手に入る。
引越す時は惜しむこと無く廃棄して、移った先にぴったりの
新しい家具を、都度買い換える方が合理的なのかも知れない。

手書きとか要らねーよ」っていうのは、こっちも其の程度
だからそっちもそんな所に余計な手間かけなくていいよって、
そんな風に聞こえるんですよね。

あるいは自分自身の人生さえ、そんな風に捉えているとか。
生き方はそれぞれですからお好きな様にとは思いますが
いくら資産があってもなんだか満たされてない感じの人には
何となく気の毒だな、って思うわけです。

余計なお世話でしょうが。

人材市場もますます二極化が進むでしょう。

彼我を分かつものは何なのか。

僕はそういう所なんじゃないかと思うわけです。

厄年を終えた今、そう思うわけですが。

 

研修とヌルヌルの深い関係

今週いっぱい外部研修で東京に滞在している。自腹である。

使い捨て髭剃りを使いながら、共産圏ではこのヌルヌルは
付いていないのでは、と、例によってショーモナイことを
考えていた。共産圏は「貧しい」だとか「不親切」だとか
「肌が強い」とか、そんなことではなく、もっと本質的に。

そもそもあのヌルヌルの正体は何か。滑りを良くするもの
などと小学生でも思いつくようなことを言ってはいけない。

あれは、他でもない。ヌルヌルが次第になくなることで、
そろそろ交換したらどうですか、というメッセージを出す、
それこそがあのヌルヌルの本分である。そうでもしないと
僕のように1本18円の髭剃りを半年以上使う人ばかりでは
商売が成り立たない。

髭剃りの原初的な機能としてのヒゲを剃るという点では
まったく必要のない買い替えを促すことこそ資本主義の
真骨頂である。共産圏ではおよそ必要のないものである。

だから、某国製の自動車だとかパソコンだとか、それらが
すぐ壊れるのは技術が遅れているからだなどと侮っては
いけない。むしろ資本主義がいよいよ完成段階にあると
そのように考えるべきなのだ。粗製乱造、どんどん壊れ、
どんどん交換。経済成長の原動力である。

どこかの国の労働市場もいよいよ資本主義の完成段階に
近づきつつある…そんなことを思いながら、新しい仕事の
スキルを養いに、今日も研修に励む次第である。

 

(追伸)

この年度末に丸一週間の留守を快くかどうかはともかく
ご了承くださいました職場の寛大さに御礼申し上げます。 

留守中はできるだけ電話の鳴らないよう措置しましたが
色々とお手数おかけしていることと思います。

研修の成果は業務にも存分に役立てる所存ですので
所得税控除になるようご配慮いただければ幸甚です(笑)

 

道徳って大事だなと思う反面「道徳」の授業には冷ややか。

「道徳」というと特定のイメージがついてまわるので

やや作為的だが「正義」と言い換えておく。

カッコはつかないけど。

 

正義はひとつじゃない。世界には色々な正義がある。

日本にも、自分の中にさえ、色々な正義がある。

でもそれらの正義のもうひとつ奥にあるものは

案外、似たようなものだったりする。

 

ただそれが特定の場面で有効なように決めた

具体的な方法としての正義が違ったということ。

 

いろいろなことについての正義のセットによって

その社会の秩序ができている。

違う社会では違う正義の違うセットによって

違う秩序ができている。

その中から正義を一つ取ってきて

別の社会に投げ込むと、

とても奇異に見えるかも知れない。

でもその正義の生まれた場所では有効で

全体としては同じようなことを目指している。

 

すでに身の回りだけでも色々な正義のセットがある。

その一つだけを取り上げて、みんなに押し付ける

そのこと自体が、すでに正義に反すると思う。

唯一、多様な正義を尊重しようということこそが

いま共通に求められる正義なのではないか。

 

agree to disagree

 

未来は明るい。

30年前、未来は明るかった。

とりわけ「科学技術」がキラキラ輝いていた。

科学万博つくば'85はその象徴だった。

ニューメディアの描き出すイリュージョン

しかしそれは文字通りの幻だった。

よくできた紙芝居でしかなかった。

 

もっとも、バブルの時代には

すべてが中空のハリボテだった。

ただ熱気だけがそれを支えていた。

 

そして2015年。ようやく時代は

広げすぎた風呂敷に合ってきた。

ドックもマーティーもきっと喜んでくれる。

ただ今度は風呂敷の方が

中身の大きさに追いつかなくなってきた。

 

未来は明るい。

ただ、夢は描かなければ形にならない。

 

あとは頼んだ。

さて今日から春でして。

厄も明け、朝からお参りしてきました。

三年間を振り返ると、決してひっそりと過ごした訳ではなく
育友会長を仰せつかり、家を建て、職場でも結構な大仕事を
手がけさせて頂きました。

それぞれがくもり一つない大成功という訳ではありませんが
反省点からも学ぶところ多く、たいへん有意義な取り組みに
携われたことにとても感謝しています。

さて予告通り今日からは何か新しいことをしようと思います。

何をしようか。取って付けたように新しい趣味などしている
そんな余裕はどこにも無いわけです。四十二といえば順当に
平均寿命を全うしたとしても既に後半戦で、しかも下り坂。
自由になる時間はそれ程ありません。

・後に面倒を残さないよう、常に整理整頓を心がける。

・時間もお金も、誰のどんな役に立つか常に意識して使う。

ということで、今後とも変わらぬお付き合いの程を。