反物質流

たんものしちながれ

最後という感覚

娘が自転車で賀茂川に行きたいというので、ちょっと行ってきました。

 

職場のシステムがエラいことになってる最中に何してるんだと言われそうですが

業務時間にもカウントされない休日自宅での作業の、30分かそこらの休憩です。

 

娘ももうすぐ8歳、20インチの自転車を乗り回しているのですが、僕の自転車の

後ろのシートに乗りたいというので、久々に乗せてやりました。

しばらく前に外そうとして、つけておいて欲しいと言われたものです。

体重を聞くと20kgだと言うので、ギリギリ安全基準内です。

 

あちこちのマラソン大会やらで賑わう河原を荒神橋まで往復し、無事に帰還。

後ろの娘を降ろそうとすると「もうちょっと」と言います。

何かにつけそんなことを言う娘なのですが、ご要望にお応えして若干延長、

町内をグルっと1周しました。

 

「もうちょっと?」と聞くと「もういい。」と言うので、帰ってお昼にしました。

 

上の子の時は「寝返り!」「立った!」と何かと初めてのことが印象的でしたが

下の子の時は何だかハッキリ覚えていない。その代わりと言っては何だけれど、

終わりの機会の方が残っている。勝手なもので。

 

ところで、卒園式とか何とか、終わりであることが明示されているものはともかく

日常の出来事についていつが最後なのかというのは必ずしも明確でない。

後から振り返って「あれが最後だったな」と言えればマシな方だろう。

弔辞なんかではよく出てくるけれど。

 

私の父が他界して5年になるが、その前年だったかに、手賀沼の遊覧船に乗った。

それまでに船に乗った記憶はあまり無いが、子供の頃はよく遊歩道を一緒に

サイクリングした。そんな話をしたり、船頭さんの話を聞いたりしながら、

見慣れた景色を確認するように、一周した。

 

もちろんそんなことは口にしないが、何となく、もう次はないんだろうな、と

そんなことを思いながら。何となく、父もそう思っていたのではないか、

何となく、でもハッキリと、そんな気がしていた。

 

昨日、娘と行ったサイクリングでも、後ろに乗るのはこれで最後だろうなと、

何となく、でもハッキリと、そんな気がした。まあ娘もいい年なので

当たり前といえば当たり前だが。

きっと、娘もそのつもりだったのだろう。

 

昔ならった、グリーングリーンという曲を口ずさんでいた。

 

最後というのを、それを自覚しながら過ごせるというのは、とても有難いこと

なのだろうと思う。