時代
昨日、川原でバーベキューをした際のこと。
隣で高校生くらいの男子数名が魚釣りをしていました。
倅らが横でバシャバシャしたり俄に釣りを始めたり
迷惑していないかと心配しましたが「大丈夫ですよ」
と屈託ない様子でした。
釣りはなかなかの腕前でしたが、バーベキューでは
火起こしに往生していました。
しばらく姿が見えなくなり、こちらが終い支度を
する頃になっても戻らないので火元に寄ってみると
どうやら既に去った後のようでしたが、その様子に
思わず唖然としました。
火は落ちているものの、かなりの量の未使用の炭、
トング、網2枚(うち1枚は未開封)、チャッカマン、
軍手、割箸(50膳のうち使ったのは数本だけ)、
食べなかったオニギリと菓子パン、ごっそりと
置き去りにされていました。
ゴミを持ち帰らないでけしからん、という以前に、
これらすべてが使い捨て、余ったら廃棄、
ということが驚きでした。
先ほどの屈託のない様子からして、彼らにとって
それはごく自然な振る舞いなのでしょう。
彼らの親も既にそうしてるのかも知れません。
仕事でやっていると、欠品ロスや在庫コストを嫌って
十分な量を発注して余ったら廃棄、ということは
一般的なのかも知れませんが、そういう考え方が
私生活にも浸透してるのだな、と。
規範意識といったことが改めて問われている昨今、
「意識」だけでなく「規範」そのものの拠り所から
考えなおさないといけないのかも知れません。