反物質流

たんものしちながれ

これ読んでからずっと、何とも言えない気分でいた。
いや、読む前からあった何とも言えない気分が
ハッキリとした言葉になって向かって来た。

note.mu

この戦いは、戦い続ける人生は、いつ、いつになったら、
一体どういう形で、終わるのだろうか。

そしてその、戦いの、勝者は誰で、一体どのようにして
報われるのだろうか。

あるいは勝ち残り、あるいは途中で敗退して、
その戦いの舞台から降りるといって、どこに、どのように
降りることができるのだろうか。

いや既に書いてしまっているが、戦い続けるしかない、
戦うこと自体が人生な、そんな戦闘マシーンを、
我々は作っているのだ。

勝ちも負けもない。壊れるまで戦うだけの人生。

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幸あれ。

吉田寮大掃除という破壊行為について

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この記事の特に後半では吉田寮の存在意義について真面目に語られている。極めて重要なことが書かれていると思います。一方で面白半分に無自覚にやっているのでしょうが、この清掃企画自体もたいへん罪深いことをしている。ある意味、当局よりもずっと酷い。そのことに気づいている人は、意外と少ないようなので、書かせていただきます。

最近は世の中、どこもかしこもとても綺麗で、道ゆく人も勤勉で礼儀正しい。公有地の無駄なスペースもどんどん再開発され有効利用されていく。京大も例外ではなく、かつてあちこちにあった、ともすれば良からぬ輩のたまり場にもなりかねない「何だかわからない空間」は、この20年ほどで次々に駆逐されていった。物理的な空間よりは捉えにくいが、時間であったり組織機構であったりも同様、すべてが合理的・生産的に整えられていった。

あらかじめ定義された目的をもった物ばかりで構成されている空間、整理・整頓・清掃・清潔・躾の行き届いた住人、そこでは、定義した側の意図を越えた活動は生じにくい。「生産性」などの名のもとに人々を全体主義へと導く、そういう見えない力へのアンチテーゼとして、吉田寮は存在しているのです。

つまり、この大掃除は、建物ごと鉄球で打ち砕くよりも酷い、とんでもない破壊行為であり、何よりも住人がそのことに全く気づいていない、ぼんやりとでも抵抗を感じていないとすれば、恐ろしいことです。

とはいえ、またすぐ散らかるのでしょうが、今日で退去期限ですね。

杉田水脈著『「LGBT」支援の度が過ぎる』57-60.『新潮45』2018年8月号について思ったこと

ああこれ考えましたね。今でもよく分からない。
目の前のその人は受け入れるけど、助長するのはどうなのかと。

例えばちんこじゃなくて足を切ってくれこれはオレじゃないという人も実際にいるわけで。それを切らせてやるべきなのかどうか。

ただ世代を下るに従って、着実に多様性への理解というかそれを当たり前に受け入れる姿勢というのは既に相当浸透していて、当否はともかく学校の制度に埋め込まれたものによる刷り込みというのは強力だなと、ちょっと怖いくらいです。

我々が多様性を受け入れようと受け入れまいと、若い世代はそんな年寄りを受け入れるだろうけど、我々の子は、不寛容な親を持てば、それが自分自身に向けられたものであればもちろん、そうでなくても親の価値観が自分と大きく違えば、それ自体が悩みになるでしょう(悩みが全て悪いとも限りませんが)。

いずれにしても、我が子に対して「あるべき姿」を介して臨むのではなく、まずは「ありのまま」を受け入れ、対話していく方が、お互い幸せなのではないかと思います。

LGBTとSOGI、マイノリティというアイデンティティ

ところで、LGBTナンチャラカンチャラと細分化してみても、結局は「ノーマル」と分断されたマイノリティとしての位置づけを固定化するだけだし、多様な人々を等しく尊重するというなら、SOGI、「性的指向(Sexual Orientation)」と「性自認(Gender Identity)」の2軸で、いわゆるノーマルな人も含めていろいろあるよね、とやった方が、58種類もの性別を覚えるより簡単だなと思うけど、自分はノーマルという安全サイドにいながら「リベラルな自分」を得意がっているような人には自らの足元を危うくするようなことは受け入れがたいのだろうな、とか、それ以上に、実は当人がいちばん「ひととは違う自分」を必要としているのかも知れないと思うと、ことはなかなか複雑だなと。

「マイノリティを認めない」というマイノリティ

もうひとつ、マクロに見るなら、もはや多様性に不寛容な社会というのは、その社会をとりまく広い世界の寛容さによってしか存在しえない、という点も考えないといけない。マイノリティを認めない自分たちがまるごとマイノリティであるという皮肉な現実を受け入れられるのか。
一方その「広い世界」の寛容さだって結局は自分たちとの距離あるいは利害によって測られるものだし、「広い世界」で共有するものとは別の成熟した体系というものが存在するとして、それを認めさせるのは容易なことではない。それをしていたのが岡倉覚三であり新渡戸稲造であると思いつつ『茶の本』や『武士道』を読み返すと、また感慨深い。

最後に

僕自身は上のような形で間接的にこれを否定するに至りましたが、直接的にはやっぱり今でもよくわからないというのが正直なところです。

「生産性」の1語をもって騒がれていますが、最後の一文に集約されるように、杉田氏の主張は善良な保守的市民のごく一般的な考えに過ぎません。

「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねません。私は日本をそうした社会にしたくありません。

時流に乗ってバッシングに加担してる人、少なくとも彼女と同じ程度には考えた上で自分はどう思うのかよく考えて欲しい。私は彼女よりあなたの方が怖い。

お陰様でこのところ何事も順調なのは結構なのだけれど

順調というのも単に難易度に対して報酬(金銭でない)が

ずいぶん高く設定されているだけのような、しかしそれも

何かルールを読み誤っているだけで、実は結構な代償を

伴っているのではないかという、そんな怖さがある。

ひたすら直滑降のような、あるいは竜宮城で過ごすような

後には何が残るのだろうかという思いが日に日に募る。

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H30.7.11 おやじの会全市総会 資料5(裏面)

連絡会と私
「ぼっちおやじ」からの3年間

北区「おやじ・おふくろの会」連絡会
会長 山田 祐仁(紫明学区)

平成27年春。紫明小学校おやじの会の会長をお引き受けしました。前会長の辞意を受けた校長先生からの打診でしたが、ほかに会員もなく、唯一の活動であった紫明夏まつりへの出店も学生ボランティアを頼ってのものでした。育友会(PTA)からの認知も低く、会員獲得・活性化への手がかりもない「ぼっちおやじ」の状態でした。

一方、北区制60周年記念誌への出稿の件で他学区の方とやり取りする中で、合同事業として岡崎動物園でスタンプラリーを開催すると伺い、準備会から参加させていただきました。各学区のおやじの会のほか、全市の会長はじめ他の行政区から駆けつけてくださった皆さんから、各々の活動について教えていただきました。

平成28年春。北区の連絡会が正式に発足しました。合同事業「元気な子どもの絵画展」、北区の助成を受けたRadio Mix Kyoto出演といった連絡会の活動を通じて、教育委員会や校長会、北区役所の方々の物心両面での力強いご支援を実感しました。有志でのPTAフェスティバル出店にも参加しました。行事のたび応援に来て下さる皆さんとのご縁もあって、全市の連絡会へも出席するようになりました。

平成29年春。学区では相変わらず「ぼっちおやじ」でした。夏まつりが試験と重なり学生ボランティアがゼロという中、前会長ばかりかご家族まで巻き込んで何とか店を回すことはできましたが、無理をしても迷惑をかけるばかりなので、会員が集まらない限り、出店は今年限りにしようと思うに至りました。

そんな矢先、育友会長から連絡を受けました。男性会員の参加を促す行事がしたいと校長先生に打診したところ、おやじの会に相談するよう促してくださったとのことでした。ちょうど北区連絡会の防災イベント「イザ!カエルキャラバン」がありましたのでお誘いしたところ、本部役員ほか数名も一緒に参加してくださり、その勢いで紫明おやじの会でも、べーごま大会を開催することができました。学区内を歩いていると「次はいつ?」と子どもたちが声をかけてくれるようになりました。

そして平成30年春。末子の小学校卒業を機に紫明の会長を交替し、肩の荷が下りたのも束の間、急遽、北区連絡会の会長をお引き受けすることになりました。前会長を中心に築いてこられた基礎の上で、学区単位の活動、とりわけ孤軍奮闘する「ぼっちおやじ」の支えになれれば、この3年間に頂いたものを少しでもお返しできればとの思いで、微力ながら精一杯、頑張って参ります。