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打合せの後、ひとり坂の上まで歩いてコーヒーを頂いてきました。
季節のせいでしょうか、何かに導かれるように。
僕にとっては何だか不思議な色合いの街になってしまいました。
この仮囲いが取れても、僕はこの場所がわかるだろうか。
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成人式を迎えた皆さん、おめでとうございます。
25年前、僕は成人式には行けませんでした。
行けたなら行ったかというと微妙なところですが、
ただその時の僕には、選択肢はありませんでした。
その日、僕はアルバイトをしていました。
たまたま同い年の女性ばかり4名と同じ職場で、
彼女たちを行かせない訳にもいかないだろうと。
別に恨めしく思ったこともありませんが、
地元では確かに、中学校から家を離れていた僕を
探していた人も何人かはいたと後で聞きました。
多分もう一生、会うこともないでしょう。
職場にすれば、その一日のために採用を調整する
はずもありませんが、当人にすれば一生に一度の
一日だったとも言えます。
本当に、僕自身はそれ程には思っていませんが、
ただやはり、人を雇う立場になった時には
そういうことも考えないといけないのだなと。
もう25年も前の話ですが、
この日になると思い出す話でした。
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20代の頃、文章を書いていると、個々の段落は書けるのに
段落と段落が上手く並ばずに、よく困っていた。
一対での関係は明確なのだけど、それらが一列に並ばず
網目のようにつながってしまうのだ。
今思えば、目的地への最短経路を求められていたのに
周辺一帯の地図を作ろうとしていたのだな、と。
地図さえあれば、与えられた目的地へ行くこともできるし
また違ったこともできる。
ただそのときそれは求められていなかった。
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大先輩に「長い時間がかかってもいい」なんて言われたら
それはもう自身のためではないことは明白なわけで
そういう頼みを断るすべを僕は知らない。
「出戻り」
「出戻り」というと何だか否定的なニュアンスが見え隠れするが、僕自身はけっこう出戻っていて、幼稚園で1回、小学校で2回、転校してまた戻ってくるということをしているのに始まり、学生時代には一旦やめたサークルに戻り、卒業後も一旦やめた職場に戻り、町内会も一旦やめた後にまた戻っている。もはや出戻ることがコミュニティに自分を位置づける方法論になっている感すらある。
小学校までの転校はもとから戻ることが決まっていたものだが、にも拘らず盛大に壮行会をされ非常にバツが悪かった。
閑話休題。
実は出戻ることと共通する、ある概念を表す重要なイメージとして、大リーグボールの打倒法というのがある。バットをめがけて飛んできてファールフライに打ち取るという、まあ子供だましの設定ではあるのだけれど、鉄球相手の特訓を経て力任せに打ち返した花形は、全身の筋肉が自らの力に耐えきれず破壊されてしまう。一方、オズマは、投球後に一旦バットの構えを解くことで、魔球をただのボール球にして簡単に打ち返してしまう。この一旦構えを解くというのが、何とも示唆的であり、また出戻りとも共通する何かを含んでいるなといのうが、今朝の雑感。
真摯さと分人
「真摯さ」を和英辞書で引くと普通はSincerityが出ると思う。
音が似てるのは偶然だろうし、紳士とも多分関係ない。
偶然じゃない△という話もあるかもしれないが此処では扱わない。
ピーター・ドラッカーが経営者にとって最も大切なもの
としてあげているIntegrityが「真摯さ」と訳されているので、
「真摯さ」でGoogle検索なんかすると、そっち方面の話が並ぶ。
Integrityのもともとの意味は、それ自体として完全な、
統合された、一貫性のある、といった感じで、
人格に対して用いられる場合には、誠実、高潔、真摯などになる。
関係ないけどSIerはSystem Integratorの略なので、
〜erって書くのにすごく抵抗あったけど最近はあらゆることに
不感症なのでぜんぜん平気。
でその一貫性のあるIntegrityたる「真摯さ」と
一貫性なくていいんじゃね?っていう「分人」ってやつと
これは相反するのかというと別にしないんじゃないかな
っていうのを少し真面目に考えてみたら面白かな
というあたりの備忘録でした。
つまりまだ始まってさえいない話です。