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反物質流

たんものしちながれ

僕はどこにいるのだろう

僕の外側には他人が塗り固めた僕があり

内側の僕は爛れて流れ落ちてゆく

もともとの僕はどこへ行ったのだろう

そんなものは元々なかったのか

 

敷かれた道がいきづらければければ広い野原をいけばいい。

こんな簡単なことが、案外、思いつかないもので。

 

毎日通る河川敷の遊歩道が京都マラソンの経路にもかかわらず

年の350日くらいは完全にオフロード・コースなのですが。

そこへ俄ランナーやらリードを一杯に伸ばしての犬の散歩やら

ひしめき合って、マトモに通れたもんじゃない。

 

ところがよく見ると、遊歩道の脇には、その数倍もの幅で

短く刈り込まれた草原が続いている。そっちを行けばいいと

なんで気づかなかったかな。

 

いやそれだけ。

小奇麗とも言えないような南支風の食堂で、久々に会うその人を待っていると、偶然にも共通の友人(とその友人、その辺の境界はいつも曖昧だった。)数人が入ってきた。僕らは、店の真ん中にテーブルを並べて座った。
程なくしてその人は姿を見せたが、すっとこちらを見遣ると、少し離れた二人席に腰かけた。僕は皆に向けて困ったような顔をして見せると、その人の方へ席を移した。
そんな風に、前触れもなく現れては、ひとの心を乱したり、鎮めたりする。本当に、いい歳をして困ったものだ。

賞味期限

昨日は午前午後と初めてお会いする営業さんがお二人でした。

いつも通り、とりあえずキッカケで持ってこられる商材はともかく、1時間くらいかけてこちらの状況をお伝えしながら、何を出してくるかな、という感じでざっくばらんにお話ししました。

お二人とも程よくカジュアルで聞き上手な若手の女性で、もちろんそういうことでは絶対に商談は決めませんが、こちらの思惑に適った商材をポイポイっと出してくるので、自然と話も弾み、優秀な方だな、という印象だったのですが…

改めて考えてみると、もちろん営業さんも優秀なのでしょうが…

持っている商材が初めからこちらのイメージに合っている、そういうモノが各所から出ている、少し前には市場に存在しなかった自分のイメージしているものが普通になってきている…時代が自分に追いついてきた!

と、ここまでだとまあ、幸せな時代だということなのですが…

だいたい研究レベルで形になったものが熟れた商品として普及するまで15-20年くらいかかる、自分が言っていることは10年前とほとんど変わらない、「これ面白いよ」という本もほとんど更新されていない…自分の賞味期限も近い。

今日はとても優秀な後輩の最終出勤日。引き継ぎも完璧で、来週もおそらく何一つ困らないのだろうな、というのが逆に、大きな喪失感になっている…隠居の夢が遠のいた。

学生ボランティアは大丈夫なのか

昨日の北区ふれあいまつり、加茂中吹奏楽が中止だったのは残念でしたが、初めての会場や悪天候にもかかわらず、整然と成功裏に終えることができ、主催者の段取りの良さに、やっぱ行政すごいわと地味に感心しておりました。

その中で、年々存在感を増すのが、学生ボランティアの皆さんの活躍ぶり。僕ら学生の頃は学生マンション建設反対!が普通でしたが、今では地域の欠かせない存在。ハツラツと何でも器用にこなす姿には、新しい世代の力(裏返せば自分の古さ)を感じます。

一方で、学生ボランティア依存の運営というのは、制度的に見て公平性や持続性に問題はないのか、きちんと考える必要もあるように感じています。

ボランティア経験が、就職活動の中で、職種によっては半ば不可欠な要素になっていないか。その場合に、学費支弁のためアルバイトを余儀なくされ、ボランティア活動ができない学生は、そうした職業につく道を閉ざされていないか。参加している学生に過度の負担を強いていないか。

ボランティアとしての活動内容が、学生本人にとって、どのような経験となっているのか。単なる無償の労働力として、活動全体から隔離された単純作業に押し込めてはいないか、体系的な研修プログラムではないにせよ、何らかの応用可能なスキルを身につける機会になっているか。

安易に学生ボランティアに依存した結果、学生以外の地域住民の新規参加、世代交代が疎かになっていないか。

私なんぞが心配せずともエラい方々がちゃんとしてくださっているのでしょうし、実際に来てくださっている学生さんを見ている限りは余計な心配なようにも思いますが、まあ一応。

(追記)

兵役って軍事だからアレだけど、若いころの一定期間、集中的に公共・社会奉仕に携わるというのは、自営の人にも私企業に勤める人にも、意味のある経験だと思うんだよね。

あと軍隊を否定する人の中に、軍じゃなくて隊を否定してる人けっこういて。

 

卒業生保護者 お礼の言葉

僭越ではございますが、平成二十七年度 卒業生の保護者を代表いたしまして、お礼のことばを述べさせて頂きます。

花ふくらみ、鳥うたう この佳き日に、かくも盛大に卒業式を執り行って頂きました森田冨美子校長先生はじめ教職員の皆様、ご多用の中ご列席を賜りましたご来賓の皆様、地域の皆様に、心より感謝を申し上げます。

実は六年前、この紫明校にお世話になるにあたって一つ心配なことがありました。学年にたった一クラス、六年間ずっと組替えなし、というのは、果たしてどうなのだろうか―しかし今、それは全くの杞憂どころか、これが実に恵まれた環境であったと、はっきりと伝わって参ります。卒業生三十一名、喜びと感謝を胸に、実に凛々しく整然とした出で立ちです。

 

真新しい大きなランドセルを背負っての初めての登校、校門や沿道では、管理職の先生やセーフガードさんが、一人ひとり名前を呼んで出迎えてくださるのに、たいへん驚きました。

一年生、二年生とお世話になった石谷H先生。子供たち一人ひとりの、秀でた部分も、至らない部分も、お互いに良く知り、活かし補いあって、共に成長する、今に至るしっかしりした学級づくりをしてくださりました。家ではいつも、友達の良い所を、自分のことのように話す、そんな子供たちの姿を見て、私たち保護者もまた、それぞれがみんなの親なのだと、自然と思い、子供たちに接するようになりました。

三年生、四年生でお世話になった山口K先生。自分たちの問題は自分たちで解決する、自分にも相手にも真正面から向き合い、何事にも真摯に対応する―ちょうど私も学校へ伺う機会の多い年でしたが、行き交う子供たちとのちょっとしたやり取りからも、日に日に成長する内面が見て取れました。

五年生、六年生になると、仲の良いクラス、というだけでは済みません。

中西Y先生には、集団行動とリーダーシップ、そして何より元気の大切さを学びました。縦割りグループでの役割も、早くから自覚できたことと思います。リズムに乗った英語学習も印象的でした。

井上M先生には、社会のルールをしっかりと意識しながら、それを自分自身のこととして、人間関係の中で捉えることの大切さを学びました。校外学習で先生の見せる、学校とは少し違った緊張感からも、子供たちは多くを学んだことと思います。

世の中に出れば、大変なことも、あるいは理不尽なことに出くわすことも、決して少なくありませんが、このクラスでの六年間の思い出は、これからもずっと子供たちの心の礎になることでしょう。

 

「いただきます」「ごちそうさま」毎日、調理員さんと顔を合わせてご挨拶できました。校内のあちこちに美しく生けられた季節の草花、図書館の本も綺麗に直していただけました。トイレのサンダルも、いつもきちんと揃っています。夏祭りや文化祭の後でも、ゴミらしいゴミは一つも落ちていません―こうした日頃の何気ないことの一つひとつが、本当に有難いことでした。

「有難い」の反対は、「当たり前」― 中にはまだ、紫明学区のこの恵まれた環境を、当たり前、と思っている子供たちも あるかも知れません。

しかし、社会に出て、様々なことを経験する中で、ああ、あれは有難いことだったのだな、と思う日が、必ず、来ることでしょう。  そのとき、自らの受け取った ほんの一部だけでも、地域に、社会に、未来に、伝えていって くれたら―そんな思いで、保護者一同、これからも、子供たちと歩んで行けたら、と思っております。

教職員の皆様、地域の皆様、どうぞこれからも、紫明の子供たちを、厳しく、温かく、見守って下さりますよう、お願い申し上げます。

最後になりましたが、紫明小学校のますますのご発展、並びに皆々様の益々のご健康とご多幸をお祈り申し上げ、お礼の言葉とさせて頂きます。

 

六年間、本当に有難うございました。

 

平成二十八年三月二十三日

保護者代表 山田祐仁

「現実逃避」ってさ、

実際に逃避してる場合もあるんだろうけど、一日中向き合っててもホントに一歩も進まない、そういう人も多いと思います。僕もそういうこと多々あります。
ひとつ気づいたんだけど、そういうのって割と大きな塊の、しかもある程度の馴染みはあるけど十分な自信はないような、そんな仕事なんじゃないかと。
そしてね、ここ大事なんだけど、全体が決まらないと部分も決まらない、という感覚がある。
とりあえずできそうな所か手を付けても、後でやり直しになりそうな感じ。
段取り良くやっていけば十分にできそうな時間もあるけど、後から大きな手直しまでする余裕はない、みたいな感じ。
何かよくわからない全体像を模索しつつ、具体的な部分は一向にできてこないから、いつになっても全体像が見えてこない。
そうしてるうちに時間ばかりが過ぎて、いよいよ「とりあえずやってみて」という余裕もなく、一発OKを狙わざるを得ないので、ますます動き出せなくなる。
あとはどうしたらいいか、わかるよね。