反物質流

たんものしちながれ

学生ボランティアは大丈夫なのか

昨日の北区ふれあいまつり、加茂中吹奏楽が中止だったのは残念でしたが、初めての会場や悪天候にもかかわらず、整然と成功裏に終えることができ、主催者の段取りの良さに、やっぱ行政すごいわと地味に感心しておりました。

その中で、年々存在感を増すのが、学生ボランティアの皆さんの活躍ぶり。僕ら学生の頃は学生マンション建設反対!が普通でしたが、今では地域の欠かせない存在。ハツラツと何でも器用にこなす姿には、新しい世代の力(裏返せば自分の古さ)を感じます。

一方で、学生ボランティア依存の運営というのは、制度的に見て公平性や持続性に問題はないのか、きちんと考える必要もあるように感じています。

ボランティア経験が、就職活動の中で、職種によっては半ば不可欠な要素になっていないか。その場合に、学費支弁のためアルバイトを余儀なくされ、ボランティア活動ができない学生は、そうした職業につく道を閉ざされていないか。参加している学生に過度の負担を強いていないか。

ボランティアとしての活動内容が、学生本人にとって、どのような経験となっているのか。単なる無償の労働力として、活動全体から隔離された単純作業に押し込めてはいないか、体系的な研修プログラムではないにせよ、何らかの応用可能なスキルを身につける機会になっているか。

安易に学生ボランティアに依存した結果、学生以外の地域住民の新規参加、世代交代が疎かになっていないか。

私なんぞが心配せずともエラい方々がちゃんとしてくださっているのでしょうし、実際に来てくださっている学生さんを見ている限りは余計な心配なようにも思いますが、まあ一応。

(追記)

兵役って軍事だからアレだけど、若いころの一定期間、集中的に公共・社会奉仕に携わるというのは、自営の人にも私企業に勤める人にも、意味のある経験だと思うんだよね。

あと軍隊を否定する人の中に、軍じゃなくて隊を否定してる人けっこういて。

 

卒業生保護者 お礼の言葉

僭越ではございますが、平成二十七年度 卒業生の保護者を代表いたしまして、お礼のことばを述べさせて頂きます。

花ふくらみ、鳥うたう この佳き日に、かくも盛大に卒業式を執り行って頂きました森田冨美子校長先生はじめ教職員の皆様、ご多用の中ご列席を賜りましたご来賓の皆様、地域の皆様に、心より感謝を申し上げます。

実は六年前、この紫明校にお世話になるにあたって一つ心配なことがありました。学年にたった一クラス、六年間ずっと組替えなし、というのは、果たしてどうなのだろうか―しかし今、それは全くの杞憂どころか、これが実に恵まれた環境であったと、はっきりと伝わって参ります。卒業生三十一名、喜びと感謝を胸に、実に凛々しく整然とした出で立ちです。

 

真新しい大きなランドセルを背負っての初めての登校、校門や沿道では、管理職の先生やセーフガードさんが、一人ひとり名前を呼んで出迎えてくださるのに、たいへん驚きました。

一年生、二年生とお世話になった石谷H先生。子供たち一人ひとりの、秀でた部分も、至らない部分も、お互いに良く知り、活かし補いあって、共に成長する、今に至るしっかしりした学級づくりをしてくださりました。家ではいつも、友達の良い所を、自分のことのように話す、そんな子供たちの姿を見て、私たち保護者もまた、それぞれがみんなの親なのだと、自然と思い、子供たちに接するようになりました。

三年生、四年生でお世話になった山口K先生。自分たちの問題は自分たちで解決する、自分にも相手にも真正面から向き合い、何事にも真摯に対応する―ちょうど私も学校へ伺う機会の多い年でしたが、行き交う子供たちとのちょっとしたやり取りからも、日に日に成長する内面が見て取れました。

五年生、六年生になると、仲の良いクラス、というだけでは済みません。

中西Y先生には、集団行動とリーダーシップ、そして何より元気の大切さを学びました。縦割りグループでの役割も、早くから自覚できたことと思います。リズムに乗った英語学習も印象的でした。

井上M先生には、社会のルールをしっかりと意識しながら、それを自分自身のこととして、人間関係の中で捉えることの大切さを学びました。校外学習で先生の見せる、学校とは少し違った緊張感からも、子供たちは多くを学んだことと思います。

世の中に出れば、大変なことも、あるいは理不尽なことに出くわすことも、決して少なくありませんが、このクラスでの六年間の思い出は、これからもずっと子供たちの心の礎になることでしょう。

 

「いただきます」「ごちそうさま」毎日、調理員さんと顔を合わせてご挨拶できました。校内のあちこちに美しく生けられた季節の草花、図書館の本も綺麗に直していただけました。トイレのサンダルも、いつもきちんと揃っています。夏祭りや文化祭の後でも、ゴミらしいゴミは一つも落ちていません―こうした日頃の何気ないことの一つひとつが、本当に有難いことでした。

「有難い」の反対は、「当たり前」― 中にはまだ、紫明学区のこの恵まれた環境を、当たり前、と思っている子供たちも あるかも知れません。

しかし、社会に出て、様々なことを経験する中で、ああ、あれは有難いことだったのだな、と思う日が、必ず、来ることでしょう。  そのとき、自らの受け取った ほんの一部だけでも、地域に、社会に、未来に、伝えていって くれたら―そんな思いで、保護者一同、これからも、子供たちと歩んで行けたら、と思っております。

教職員の皆様、地域の皆様、どうぞこれからも、紫明の子供たちを、厳しく、温かく、見守って下さりますよう、お願い申し上げます。

最後になりましたが、紫明小学校のますますのご発展、並びに皆々様の益々のご健康とご多幸をお祈り申し上げ、お礼の言葉とさせて頂きます。

 

六年間、本当に有難うございました。

 

平成二十八年三月二十三日

保護者代表 山田祐仁

「現実逃避」ってさ、

実際に逃避してる場合もあるんだろうけど、一日中向き合っててもホントに一歩も進まない、そういう人も多いと思います。僕もそういうこと多々あります。
ひとつ気づいたんだけど、そういうのって割と大きな塊の、しかもある程度の馴染みはあるけど十分な自信はないような、そんな仕事なんじゃないかと。
そしてね、ここ大事なんだけど、全体が決まらないと部分も決まらない、という感覚がある。
とりあえずできそうな所か手を付けても、後でやり直しになりそうな感じ。
段取り良くやっていけば十分にできそうな時間もあるけど、後から大きな手直しまでする余裕はない、みたいな感じ。
何かよくわからない全体像を模索しつつ、具体的な部分は一向にできてこないから、いつになっても全体像が見えてこない。
そうしてるうちに時間ばかりが過ぎて、いよいよ「とりあえずやってみて」という余裕もなく、一発OKを狙わざるを得ないので、ますます動き出せなくなる。
あとはどうしたらいいか、わかるよね。
 
 
 

通学路

今日はちょっと家で用事をして1時間あまり遅い出勤。
すっかり日の登った川原を歩いていると春を実感します。
 
さて今更ですが、「通学路」というものがありまして。
 
公立学校に通う子供たちは家を出ると最寄りの通学路に
合流し、そこから決められた路を通学してくわけです。
 
子供たちが安全に通学できるよう、順路を厳選し、
路側帯や横断歩道を設け、交差点などには見守りの
ボランティアさんが立ってくださっている。
 
当たり前の風景ですが、これが 日本全国津々浦々
およそ人の住む所の殆どを網羅しているかと思うと
凄いシステムだなと。
 
いや、それだけの話なんですが。
 
 

家の中に自分の居場所が無いという現実とキチンと向き合うためにfacebooktwitterのアカウントを消しました。消え方が不完全だったらご愛嬌ということで。別にどちらのサービスもそれ自体に何か問題があったという訳でもないですし。

 

追伸

向き合った結果やはり居場所はなく改善の余地もなさそうなので復活しました。

さてお陰様で無事に43歳を迎えましたので、この一年を振り返りつつ次の一年の抱負など述べたいと思います。

まず今年は現在進行形でお世話になっていた方々が立て続けに世を去られ、まだまだお世話になりたかったのにと残念でならない一方、実情は未熟でもそろそろ第一列に並ぶ覚悟も必要なのかと思わされる一年でした。曰く「稽古不足を幕は待たない」。

厄も明けたので何か新しいことを、ということで、ISO22000(食品安全マネジメントシステム要求事項)の審査員資格にチャレンジしました。職場やご縁の皆様のご支援、一緒に受講した方々との励まし合いのお陰で、試験は無事に通ったのですが、実はまだ登録申請をしておりませんで、早々に手続きした上で、せっかく頂いた機会ですので、これを活かしてお役に立てるよう、そのスタートとなる一年にしたいと思います。

まだまだ老けこむには早いですが、やはり瞬発力、咄嗟の判断、記憶力、回復力、そうしたものの不足を痛切に感じます。衰えたのか、不足に気づけるようになったのか。整理・整頓、些事を疎かにせず、足りない力は仕組みの中で補えるよう、工夫していきたいと思います。鍛えろという声も聞こえて来そうですが。

そして最後に、不平・不満、妬み・嫉み、あるいは驕り、そうした囚われから自らを解放すべく、多面的な視点から建設的に考え、行動し、満足できるよう、周囲に良いオーラが放てるよう、心がけたいと思います。

どうぞ皆様、今後とも末永くお付き合いの程を。

もちろんコンピュータ自身は戦略的な意思決定を行うことはできない。

この一文がやけに引っかかった。

この文が実際に意味するところは

「人間は戦略的な意思決定をコンピュータに委ねることはできない。」

 なのではないか。

そしてそれは本当に、今後ともそうなのか。